“起こる全ての出来事はメッセージ”
とある曲の歌詞にも使われる言葉。
聞いた事がある人も多いと思いますが、
確かにそうなんだと感じる場面も多いです。
まず、メッセージを送る主が誰か。
ということですが、
これは人によっては表現の仕方は様々でしょう。
「神様」「宇宙」「サムシンググレート」「大いなるもの」「真理」・・・
ここでは「神様」が存在するのかは
議論しません。
「神様」がいてると想定したときの話をします。
“起こる全ての出来事はメッセージ”
と仮定した時に、
良い出来事が起きたときにそう感じるのは容易です。
問題は
一見”良くない”出来事が起きた場合です。
“良くない”出来事が起きた場合、
果たしてその中には
“メッセージ”は含まれていないのでしょうか。
人生の中で、
「この出来事があったから、
今こんな幸せな状況がある」
といった事は経験したことがないでしょうか。
多くの人はそういった経験を
している事と思います。
であれば、
“短期的”には”良くない”出来事であったとしても、
“長期的”には”良い”出来事に変わることが
あるという事です。
むしろ、
大きな幸せというのは、
往々にしてそういった
“短期的”には”良くない”出来事が
あったからこそ
“導かれてくる”ことが多いのではないでしょうか。
また、
別の観点からみると、
「神様」が存在するのであれば、
ただただ(単純に)不幸せという出来事を人間に
背負わせたりするのでしょうか。
(ある意味絶望的な状況です)
必ず人間を幸せに導く為に
“メッセージ”を送るのではないでしょうか。
「神様」の視点から見ると、
“短期的”な幸せに興味はないと思います。
(話を分かりやすくする為に極端に表現しています)
“短期的”には辛く、
一見不幸せに見える出来事でも
“長期的”には必ず幸せに導く
“メッセージ”を送っているのではないでしょうか。
「人間・ペット」の立場からみても
“短期的な幸せ”>”長期的な幸せ”
と感じるものはほとんどいないのではないでしょうか。
“短期的な幸せ”の為に
“長期的な幸せ”を犠牲にしていい
と思う人はいるでしょうか。
逆に
“短期的な幸せ”を犠牲にしても
“長期的な幸せ”を得られるのであれば
かまわない。
と思う人がほとんどではないでしょうか。
一見良くない出来事が起きた時にこそ
“長期的な幸せ”を
得られるチャンスは存在し、
そのチャンスを活かせるかどうかは
その一見良くない出来事に含まれる
“メッセージ”を”正しく”読み取れるか
ということにかかっているのだと思います。
それは、見方を変えれば
「神様」から与えられた
“命の設計図”を
読み取るということでもあります。
これに関しては
また別の機会にお話します。